酒呑城跡
しゃちのみじょうあと (Shachinomi Castle Ruins)
【C-AC129】探訪日:2020/6/5
愛知県豊田市幸海町城ノ腰
【MAP】
〔駐車場所〕皆福寺の駐車場に停めさせていただく。
築城年代は定かではないが、文明年間(1469~87年)に三河国矢並を拠点とする鈴木重就の子与六郎重時が酒呑へ移住し城を築いたとされる(あるいは市木城の鈴木重親が永禄の頃にここへ進出して築いたともされる)。酒呑鈴木氏は3代重信より徳川家康に仕え、江戸時代は旗本となり酒呑陣屋を構えている。
城は矢作川支流の巴川に沿って南西に伸びた通称「城ノ腰」に築かれている。尾根に沿って削平地があり、南西端に社が祀られた主郭と一段低くなった郭がある。堀切はみられるが、明瞭の切岸,土塁,竪堀や虎口の痕跡は無い。
なお、酒呑鈴木氏の墓は伝松平親氏供養塔と共に妙昌寺にある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1469~87年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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鈴木重時 | SZ04 | 鈴木重親 | SZ** | 鈴木重信 | SZ04 |
3回目の探訪にてようやく登城口を知ることができた。今回もあきらめて帰ろうとしたとき、たまたま畑仕事に来た老夫婦に出会い、お聞きしたところ、どこの防獣フェンスから入れるか丁寧に教えてくださった。以前に近くまで行ってはいたが雑草に埋もれて見つけることができなかった。行き止まり右側の小さなフェンスを開け、20mほど先の大きな桜の木を目指して上ると、城域への道がついている。下山後も老夫婦が畑仕事をされていたので、無事たどり着きましたとお礼を言って次の史跡に向かった。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲この道を入る
▲行き止まりの右側
▲写真中央の小さな防獣フェンスから入る
▲フェンスから20mほど先の桜の木を目指す
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▲堀切
▲堀切
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▲前方に主郭
▲主郭
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▲主郭の祠
▲主郭内から虎口側を見る
▲主郭
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▲一段低くなった南側の郭から主郭を見る