市場城跡
いちばじょうあと(Ichiba Castle Ruins)
【C-AC145】探訪日:2016/11.5・2020/6.5
愛知県豊田市市場町675
【MAP】
〔駐車場所〕
別名は大草城。1502(文亀2)年、鈴木(鱸)藤五郎親信によって標高390m,比高60mの山頂に築かれたとされる。鈴木氏は市場古城を居城として代々続いていたが、親信の時代に新城として市場城を築き居城を移したと伝えられる。親信のあと、肥後守長重,伊賀守直重,越中守重愛(長康)と4代90年続いた。
1583(天正11)年、重愛は徳川家康に従って串原城,広瀬城を攻めて功を挙げ、所領の加増を受けて石垣,池などを造って城を改修した。重愛は自身の武威を誇り、豊臣秀吉(あるいは徳川家康)に従わなかったため1592(文禄元)年に小原を退去させられ、城は破却されたという。その後、所領は田中吉政に引き継がれた。
主郭を中心とした石垣造りで、現状では石垣は主郭から南側と西側に一部現存する。主郭は南北に長い曲輪になっている。主郭の西下には桝形門の石積みがあり、その北側に畝状竪堀群が残る。この畝状竪堀群は竪堀の起点であるコブの部分が喪われており、石垣造りの城に改修した際に削いで道を付けたと考えられている。この虎口から南側に入ると「さんざ畑」と呼ばれる曲輪群があり、家老の尾形三左衛門の屋敷跡と伝えられている。
現在は城址公園としてきれいに整備され、遊歩道が設置されている。
【史跡規模】 |
【指 定】豊田市指定史跡(1992年3月2日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1502年・1583年 | 1592年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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鈴木(鱸)親信 | SZ03 | 鈴木長重 | SZ03 | 鈴木直重 | SZ03 |
鈴木重愛(長康) | SZ03 | 徳川家康 | TG01 | 豊臣秀吉 | ZZ01 |
田中吉政 | **** |
2回目の探訪となる。前回訪問時の写真にピンボケが多かったため、改めて訪れた。ただ、雑草に蔽われている箇所が多く、下記の写真は2016年秋のものも織り混ぜて掲載した。山城の要素がギュッと詰まった気軽に訪れることができるお薦めの城跡である。
市場城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)