伊達五郎八姫霊屋
だていろはひめ たまや(Mausoleum of Iroha-hime)
【K-MG006】探訪日:2013/10/6
宮城県宮城郡松島町松島町内4
【MAP】
〔駐車場所〕
1661(寛文元)年5月8日、68歳で死去した天麟院こと伊達五郎八姫の霊屋。
1594(文禄3)年6月16日、伊達政宗と愛姫(田村清顕の娘)の間に生まれ、政宗にとって結婚15年目にして初めて授かった待望の嫡出子であり、伊達家後継者となる男児誕生を熱望し男子名である五郎八しか考えていなかったため、女児にもかかわらずそのまま五郎八姫と命名した。姫はたいへん美しく聡明であり、政宗を「五郎八姫が男子であれば」と嘆かせたほどであり、弟の仙台藩2代藩主の伊達忠宗も頼りにしていたという。
1599(慶長4)年1月20日、徳川家康の策謀の一つとして、家康の6男・松平忠輝と婚約し、1606(慶長11)年12月24日に結婚した。忠輝との仲は睦まじかったが、忠輝改易後は離縁され、父の政宗のもとに戻り仙台城本丸西館に住んだ。