長者ヶ原廃寺跡
ちょうじゃがはらはいじあと (Chojagahara-ji Temple Ruins)
【T-IW007】探訪日:2013/10/4
岩手県奥州市衣川区田中西
【MAP】
〔駐車場所〕
藤原秀衡の御用商人金売吉次の屋敷跡と伝承されてきたが、1958(昭和33)年の発掘調査の結果、一辺約100mの築地塀,本堂跡,西建物跡,南門跡が確認され、寺院様式の壮大な建造物群跡であることが確認された。当時の築地塀は格式の高い寺院や役所しか造ることは許されず、また出土した土師器の墨書や年代などから、奥州藤原氏の祖先である安倍氏が建立したものと推定される。焼けた土が多く見つかり礎石に熱を受けた跡があることから、前九年の役で安部氏が源頼義,義家父子に滅ぼされたと同時に焼失したと考えられている。1189(文治5)年に奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が安部氏ゆかりの地を見学した際には、土塀の中には何も残っておらず、礎石の位置もわからない状態であったという。
伽藍は、本堂跡と南門跡を中心軸でそろえ、その延長線は中尊寺の丘陵の最も高い部分に到達している。なお、講堂や僧坊などは備えていない。本堂と南門の高低差が1mあり、南門が視界を遮らないよう工夫がされており、東側には束稲山を望むこともできる。礎石は束稲山で採石されたことが調査で確認されている。