今徳城跡

こんどくじょうあと (Kondoku Castle Ruins)

【C-ME026】探訪日:2019/3/25・2020/9/15

【C-ME026】今徳城跡 三重県津市安濃町今徳296

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME026】今徳城跡

   築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)に北畠氏家臣の奥山平太夫貞兼によって築かれたとされる。ここは北の長野氏に対する北畠氏の最前線である。
 1568(永禄11)年、長野氏の養子となった織田信包に攻められたが、北畠氏の加勢もあって落城しなかった。
 1569(永禄12)年、織田信長は大河内城の具教,具房を攻めるが、最終的には和睦により信長の次男である茶筅丸(織田信雄)を具房の養嗣子とする。奥山常陸介知忠は織田信雄に仕えることになるが、1576(天正4)年、信長,信雄による具教暗殺計画(三瀬の変)には仮病を装いこれに荷担せず今徳城を破却し遁世したという。真盛上人開山の西来寺を頼りその辺りに庵を構えて国司家の菩提を弔ったという。
 城は南光寺の北東側に築かれていた。南光寺も城域であり境内の奥に今徳城跡の碑と奥山常陸介の供養塔が建っている。堀跡の一部や北側には土塁が残っている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1394~1428年 1568年・1569年・1576年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
奥山貞兼 **** 織田信包 OD03 織田信雄 OD05
奥山知忠 ****

 

【C-ME026】今徳城跡
  

 

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▲城主奥山常陸之介供養塔(2020年撮影)

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▲写経塚(2020年撮影)

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▲(2020年撮影)

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▲(2020年撮影)

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▲土塁

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲土塁と堀

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▲土塁と堀

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▲土塁と堀

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▲土塁と堀