細野城跡
ほそのじょうあと (Hosono Castle Ruins)
【C-ME022】探訪日:2019/10/27
三重県津市美里町北長野字細野
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、南北朝時代に長野氏2代祐藤の子の細野祐宗によって築かれたとされる。細野氏は長野氏の一族で弘治年間(1555~58年)に細野藤光が安濃城を築いて移った。細野氏が去った後に長野氏が南北朝時代からの長野城からここへ居城を移したと考えられている。あるいは、もともと長野氏の居城でもあったとも考えられる。長野城とあわせて「長野氏城跡」と呼ばれている。
城は伊賀街道に面し、長野川と板谷川に挟まれた丘陵に築かれて、中の城,西の城,東の城で構成される。中の城は南へ伸びた尾根に築かれ、北側に堀切を設け、土塁を伴う主郭があり、南の尾根に向かって削平地が続いている。東の城は中の城の南にあり、円形の主郭に帯曲輪が取り巻き、東へ伸びた尾根に削平地が続いており、屋敷を区画したような低い土塁が残っている。西の城は中の城の北にあり、頂部から四方に伸びた尾根に削平地が残っている。中の城と西の城は尾根続きで密接した関係にあり、東の城は自然の堀となる谷を挟み、北の尾根には谷側に土塁状の高まりが残っている。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1982年1月16日指定) |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1555~58年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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細野祐宗 | F039 | 細野藤光 | F039 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲登城口
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▲右を登り「東の城跡」へ
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▲堀切
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▲「東の城跡」標柱
▲東の城跡
▲東の城の曲輪
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▲帯曲輪
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▲「中の城」へ
▲「中の城」へ行く
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▲堀切跡
▲堀切
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▲「中の城跡」標柱
▲土塁
▲土塁上からみる曲輪
▲曲輪
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▲「中の城」から降りて「西の城」へ
▲「西の城」へ向かう
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▲西の城の曲輪
▲「西の城跡」標柱
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▲西の城の曲輪
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