銅亀山古墳
どうがめやまこふん (Dogameyama-Kofun Tumulus)
【K-OS025】探訪日:2015/2.25
大阪府堺市堺区大仙町6-26
【MAP】
〔駐車場所〕
大山古墳(仁徳天皇陵古墳)の陪塚とされ、宮内庁によって「仁徳天皇陵に号飛地」として管理されている。大山古墳の前方部南西隅の外堀に隣接する一辺26m,高さ5.4m、二段築成の百舌鳥古墳群の中では数少ない方墳の一つである。築造は出土された円筒埴輪の年代から、大山古墳の築造最終段階の5世紀中頃にあわせて完成されたと推測される。下段は南側が造り出し状に張り出し長方形を呈している。
江戸時代中期の文献では堂亀山,土鼈山と記述されている。
なお、方墳とされているが、平成の発掘調査では、前方後円墳か帆立貝型古墳、あるいは前方後方墳の可能性も指摘された。また、大きさも一辺40m以上とも考えられており、今後の調査次第では百舌鳥古墳群で最大級の方墳となる。