知立城跡
ちりゅうじょうあと (Chiryu Castle Ruins)
【C-AC156】探訪日:2016/11/22・2017/4/25
愛知県知立市西町西11
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、知立神社の神官でもある永見氏の居城であった。知立一帯は中世には室町幕府直轄の荘園・重原荘の一部で、永見氏は幕府から神領を安堵されていた。
戦国時代には刈谷城主の水野氏に仕え、29代の永見貞英の室は水野忠政の娘であった。1547(天文16)年には敵対する今川義元の命を受けた戸田宣光により、知立神社社殿が焼亡している。しかし、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの際には今川方につき、義元は知立城に入って陣を構えた。5月19日、義元が織田信長に討たれると、敗走する今川勢を追ってきた織田勢に攻撃され落城した。
その後、天正年間(1573~93年)に刈谷城主・水野忠重によって御殿が建てられ、江戸時代に入って増築され将軍家の宿泊所や休憩所として使われた。
1699(元禄12)年、地震による倒壊後は再建されなかった。現在は西町児童公園となっている。
なお、永見貞英の娘・於万(長勝院)は徳川家康の側室となって結城秀康を産んでいる。