石橋城跡
いしばしじょうあと (Ishibashi Castle Ruins)
【C-AC168】探訪日:2017/5.28
愛知県新城市作手清岳寺屋敷
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、15世紀後半に奥平2代貞久の二男・弾正久勝(近辺の地名にちなみ石橋氏を称した)が最初の城主となり、3代貞昌に仕えた。しかし、1537(天文6)年、久勝の子・石橋繁昌の謀反が露見し、4代奥平貞勝の命を受けた土佐定雄によって郎党40余人とともに討取られてしまう。死骸は一穴に埋められ奥平弾正宮と呼ばれている。後年、弾正屋敷跡の委譲を亀山城主・貞勝に願い出た徳岩明和尚によって、ここに石橋山慈昌院が建てられた。
寺院の周辺には土塁、そして曲輪跡や堀跡と思われる遺構を確認することができる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 1537年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
石橋久勝 | G8** | 石橋繁昌 | G8** | 奥平貞勝 | KD13 |
土佐定雄 | **** | 徳岩明和尚 | **** |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲奥に説明板と土塁
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▲寺を南側より見る
▲道路を挟んだ反対側にも同高さの高みがある
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▲道路は堀跡か?