1541(天文10)年、於大の方が岡崎城の松平広忠に輿入れの際、広忠の側室であった於久の方は、長男勘六(忠政)を連れて化粧田である近郊の桑谷村へと移り、翌年に二男恵最を産んだ(家康の誕生と同年同日という)。1549(天文18)年、広忠死去。
1562(永禄5)年、今川義元から独立して岡崎城に帰参した松平元康はこの母子を訪れて、父・広忠の菩提を弔うために桑谷村に本寺を建立した。住職は元康の異母弟となる樵暗恵最が務めた。
寺宝として、家康の戦場での守り本尊と伝わる大黒天や鎌倉時代の観世音菩薩像などを所蔵する。境内には松平広忠,於久の方,松平忠政の墓がある。