滝山城(亀穴城)跡
たきやまじょう(かめあなじょう)あと (Takiyama[Kameana] Castle Ruins)
【C-AC294】探訪日:2020/3/25
愛知県岡崎市宮崎町堂庭
【MAP】
〔駐車場所〕宮崎神社の脇に駐車スペースがある。
築城時期は定かではないが、永禄年間(1558~70年)に三河亀山城主の奥平美作守貞能が標高380m,比高240mの滝山山頂に築いたとされる。
1573(天正元)年、奥平貞能,信昌父子は武田方から徳川方へ寝返り、亀山城から滝山城へと移った。これに対し武田方は5000の軍勢を率いて城の南面下の万足平に押し寄せたが、城は堅固であり、かつ徳川軍の援軍に包囲されたため、退却を余儀なくされた。奥平勢はこれを追って田原坂で激戦に及んだ(滝山合戦)。
滝山山頂に城址碑が立つが、遺構は明確ではない。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 1558~70年・1573年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
奥平貞能 | KD13 | 奥平信昌 | KD13 | 武田信玄 | G433 |
徳川家康 | TG01 |
男川と並走する県道37号線沿いに城址碑と説明板があるが、そこからの登城は困難(トライはしていないが)。宮崎神社右側の奥平貞勝の墓の前から登城する。ネット情報からきついとは認識していたが、登り始めて早々、目の前に急勾配が現れた。道はないに等しく、木に巻かれた赤いテープの目印だけを頼りに、足場を選びながら丈夫そうな木の幹に掴まりながら登っていく。ところが、途中でアクシデント発生。スマホがない。登り初めにMAPで山頂の方向を確認した後、モバイルバッテリにつないでポケットに入れていたのだが、途中で落としたらしい。苦労して登った斜面を下り(幸いルートははっきりしていた)、30mほどのところで見つけることができた。落としたことも気づかないほど夢中で登っていたわけである。めげずに再び登り初め、途中2回ほど滑りながらもなんとか山頂に到着。城址碑に立てかけたのは私の愛用のスティックである。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲県道37号線沿いの城址碑と滝
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▲宮嵜神社後方の右側の山頂が滝山城跡
▲宮嵜神社
▲奥平貞勝の墓所
▲ここから登城
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▲山頂に近づく
▲城址碑が見える
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▲山頂からの眺望
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▲城址碑から少し奥
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