土呂八幡宮
とろはちまんぐう (Toro Hachimangu Shrine)
【S-AC023】探訪日:2020/3/25
愛知県岡崎市福岡町南御坊山19
【MAP】
〔駐車場所〕
社伝によれば、奈良時代末期に京都から下ってきた神官によって創建されたという。末社,隋身門,神宮寺を伴っていたとされる。応仁年間(1467~69年)には蓮如上人が神宮寺の側に本宗寺を建て、三河一向宗の拠点となった。
1564(永禄7)年、三河一向一揆により焼失したが、徳川家康の命を受け石川数正によって再建された。さらに1619(元和5)年、三河代官畔柳寿学が伊勢の大工河北次郎兵衛定守に命じて本殿を建立した。1743(寛保3)年、山畑村と上下土呂村が修理を行い、1824(文政7)年に拝殿を再建。1846(弘化3)年、中門の再建と回廊の新築が行われた。
本殿(1931年1月9日に重文指定)の様式は三間社勾欄付流造、屋根は檜皮葺である。鎌倉時代の木造阿弥陀如来坐像(県指定文化財)は「土呂の大仏さん」として知られている。
また、東側入り口に土呂城址碑が立つが、本郭は280mほど西の御堂山とされ、土呂八幡宮北側の御坊山が二ノ丸と伝わる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 奈良時代 | 戦国時代 | 江戸時代(前期) | 江戸時代(中期) |
関連年号 | 1564年 | 1619年 | 1824年・1846年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
石川数正 | G393 | 畔柳寿学 | **** | 北次郎兵衛定守 | **** |
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▲南側鳥居
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▲東側鳥居
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▲拝殿
▲拝殿
▲拝殿
▲拝殿
▲拝殿
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▲【転載】本殿
▲本殿
▲上林竹庵居宅跡
▲八幡宮北側は土呂城二の丸跡とされる