王仁墓所
わに ぼしょ(Grave of Wani)
【K-OS029】探訪日:1993/11.19
大阪府枚方市藤阪東町2丁目17-4
【MAP】
〔駐車場所〕
王仁は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたと記紀等に記述される伝承上の人物である。伝承では百済に渡来した中国人であるとされるが、王仁が伝えたとされる千字文が王仁の時代には成立していないことなど、史料解釈上実在を疑問視する説も多数存在する。
王仁の墓所は、1731(享保16)年に建立されたものである。藤坂村字御墓谷の山中に鬼墓と呼ばれる2個の自然石があったが、1616(元和2)年、禁野村和田寺の道俊は『王仁墳廟来朝記』で鬼墓は王仁墓の訛ったものと主張し、1731(享保16)年に京都の儒学者並河誠所が道俊説に基づき、墓所中央の自然石を王仁の墓とし、領主の久貝因幡守に進言し「博士王仁之墓」の碑を建立した。『五畿内志』を編纂していた並河の功名心による歴史の捏造とする説もある。