秦梨城山城跡

はたなししろやまじょうあと(Hatanashi Shiroyama Castle Ruins)

【C-AC272】探訪日:2020/3.6

 愛知県岡崎市秦梨町林中

【MAP】

〔駐車場所〕鈴木自動車整備工場の横の道を入り三六堂を過ぎてさらに進むと墓地がある。そこに広い駐車場がある。

   築城年は定かではないが、1305(嘉元3)年、鎌倉幕府の被官として赴任した粟生氏が梅薮屋敷に居を構えた後、鎌倉時代末期には秦梨山の山頂(標高110m,比高70m)に城を築いて移住したとされる。
 南北朝時代には、4代目・粟生輔時は新田義貞の家臣として南朝に忠節を尽くし、代々南朝方として足利幕府と敵対した(「南朝忠臣の碑」参照)。
 戦国時代に入ると、粟生将監永信は今川氏に仕え、1556(弘治2)年の日近合戦では戦功をあげて今川義元から感状を得ている。しかし、1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで義元が討死すると、永信は駿河へと逃れた(子の信盛は松平元康に服した)。
 山頂には、主郭,帯曲輪,堀切などが残っている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1305年

1556年・1560年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
粟生輔時 **** 粟生氏定 **** 今川義元 G361
粟生永信 **** 粟生信盛 ****

 


 城跡のある秦梨山はわかったが、乙川に遮られ直接登ることができない。5日前に秦梨城跡を訪れたときに迷い込んだ墓地の奥に道があるのを思い出し、今回はそこから乙川沿いに南下して途中から迂回して山頂を目指し到達することができた。もしかしたら墓地から直接山頂に登れる道もあるかも知れない。

 

【C-AC272】秦梨城山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

県道35号沿いの民家にある「南朝忠臣の碑」 南朝忠臣の碑 遠景 墓地の横の道を入る 右は乙川 左の道から登る 曲輪 曲輪 一段降りて堀切を横切る 土橋 堀切 堀切 北側の曲輪 帯曲輪 帯曲輪 帯曲輪