篠束城跡

しのづかじょうあと (Shinozuka Castle Ruins)

【C-AC229】 探訪日:2019/2/23

2020/3/2

 愛知県豊川市篠束町大堀

【MAP】

〔駐車場所〕

   1336(延元元)年に上野国邑楽郡篠塚より新田義氏に従ってこの地にきた篠塚伊賀守重広によって築かれたとされる。篠塚重広は新田義貞の四天王の一人として知られる。その後も転戦し、1342(康永1)年、伊予の世田城にて足利尊氏方の細川頼春に攻められ、隠岐へ落ち延びたが、同年に没したとされる。
 その後、西郷内蔵助俊雄,西郷彦三父子の居城となる。西郷氏は、九州落ちした足利尊氏に従った仁木義長に属して功をあげ、義長が三河国守護として帰国した際に共に三河に入った。その他、城主に岩瀬雅楽助の名がある。
 篠束城の遺構はなく場所も定かではないが、地名として「大堀」が残っており、城の堀跡と考えられている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代
関連年号 1336年・1342年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
篠塚重広 **** 新田義貞 G325 細川頼春 G356
西郷俊雄 F623 西郷彦三 F623 岩瀬雅楽助 ****

 


 最初に訪れたときには、立て札に貼られていた説明文の板が地面に散乱していた。接着剤の劣化か風による破損か。残念だったのは、1年後に再度訪れたときも修復されていなかったことである。説明板写真は別サイトから転載させて頂いた。

 

【C-AC229】篠束城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC229】篠束城跡

▲説明板が剥離(1年後もそのまま放置)

【C-AC229】篠束城跡

▲破損し落下した説明板

【C-AC229】篠束城跡

【C-AC229】篠束城跡

▲【転載】破損前の説明板