城の腰城跡
しろのこしじょうあと (Shironokoshi Castle Ruins)
【C-AC234】探訪日:2019/3/2・2020/3/2
愛知県豊川市萩町字二反田
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、永禄年間(1558~70年)頃には萩城主で萩奥平氏の三代奥平周防守勝次が城主であったと伝えられる。萩奥平氏は亀山城主の作手奥平氏の一族で、1575(天正3)年の長篠の戦いでは、本家の奥平貞能,信昌とともに武田から徳川へ寝返り長篠城に籠城したため、武田氏への人質であった奥平勝次の子虎之助は、武田氏によって処刑された。
城は単郭の城であったが、現在は県道により東西に分断されており、東側が大きく削り取られている。残っている西半分は北から西側にかけて土塁が残り、北へ続く台地は空堀で遮断している。北の土塁に近い北端は石積されて一段高く、西側は土塁に沿って溝が残っている。