奥田城跡
おくだじょうあと (Okuda Castle Ruins)
【C-AC236】 探訪日:2019/3/9
愛知県知多郡美浜町大字奥田字谷174
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、城主は水野勝成と伝えられる。しかし、1584(天正12)年に刈谷城主で父・水野忠重の寵臣である富永半兵衛を斬殺したことで勘当され、豊臣秀吉はじめ佐々成政や小西行長,立花宗茂,黒田孝高などに仕えながら諸国を放浪したため、1599(慶長4)年に父と和解する間は、奥田城には不在であった。その間は城代として誰かが居城したと考えられるが、特定する史料はない。1600(慶長5)年、父が加賀井重望から西軍に誘われるも断ったことで殺害されたため、勝成が家督を継ぎ刈谷城主となった。その後は郡山藩,福山藩へと移封となり、関ヶ原の戦い,大坂の陣,島原の乱で活躍した。
奥田城の主郭部には南北二郭あり、北が主郭で南の曲輪とは土橋の架かる空堀で隔てられている。また、二郭には横堀が巡らされている。