牧野城跡
まきのじょうあと(Makino Castle Ruins)
【C-AC224】探訪日:2019/2/23
愛知県豊川市牧野町丁畑
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)に牧野成富によって築かれたとされる。牧野氏は阿波国田口氏の末裔といわれ、壇ノ浦で平氏が滅亡して全国に離散していた一族のうち、田口成富が足利義持によって新補地頭として三河国中条郷牧野村に住み、牧野氏を称したのが始まりとされる。成富の子の牧野成時(古白)は長山一色城主・一色時家の家臣であったが、時家が同じく家臣の波多野全慶によって討たれると、1493(明応2)年、灰塚野で波多野全慶を倒し一色城に移った。そして、牧野城には長男牧野能成を、瀬木城には次男牧野成勝を置いた。1505(永正2)年、成時は今橋城を築いて居城を移したため、牧野城は廃城となったという。
城は豊川の流れを望む自然堤防の地形を利用して築かれたと推定されている。1993(平成5)年に圃場整備のために本丸跡を中心に発掘調査した結果、本丸と推定される地域の北側,西側,南側から堀跡が現れ、城域は南北は約102m、東西は北堀約72m,南堀約84mの台形をしていたことが確認された。さらに、本丸東端より外側にW形の堀底をもつ堀跡も発見されている。ただし、現在は圃場整備が終了し、高さ3m,幅13mほどの土塁の一部を除き牧野城跡は消滅している。