三浦義明墓所〔来迎寺〕

みうらよしあき ぼしょ〔らいぎょうじ〕(Grave of Yoshiaki Miura[in Raigyo-ji Temple])

【K-KN015】探訪日:2008/5/1

【K-KN015】三浦義明墓所〔来迎寺〕 神奈川県鎌倉市材木座2丁目9-19

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KN015】三浦義明墓所〔来迎寺〕

   来迎寺本堂右手にある三浦大介義明とその孫の多々良重春の墓所である。また、近くに義明の家来衆の墓も並ぶ。
 1180(治承4)年、源頼朝が挙兵すると、一族挙げてこれに合流しようと居城の衣笠城を出撃するが、途中で石橋山の戦いでの頼朝敗戦を聞き、引き返して籠城した。ほどなくして敵方となった畠山重忠(重忠の母は義明の娘)率いる軍勢が押し寄せ衣笠城合戦となる。だが、最終的には子の義澄以下一族を安房に脱出させた後、ひとり城を守って戦死した。松の木の下で自害したといわれ、横須賀市大矢部の腹切松公園内に史跡が設けられている。享年89。
 のちに源頼朝は三浦義明の霊を弔うために、1194(建久5)年に能蔵寺を建立した。その後、1335(建武2)年に来迎寺と改められている。本堂には三浦義明の守護仏、本尊の阿弥陀三尊像と聖観音像が安置されている。
 多々良三郎重春は、石橋山敗戦後に三浦一族と共に本拠地衣笠へ引き返す途中、由比ヶ浜で遭遇した畠山重忠と戦い犠牲となった義明の子・多々良義春の子息である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 平安時代:後期 鎌倉時代
関連年号 1180年 1194年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
三浦義明 H502 多々良重春 H502 源 頼朝 G202
畠山重忠 H402

 

【K-KN015】三浦義明墓所〔来迎寺〕
  

 

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▲来迎寺

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▲多々良重春(左)と三浦大介義明(右)の五輪塔

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▲三浦大介義明の家来の墓

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▲三浦大介義明の家来の墓