北条時頼墓所〔明月院〕
ほうじょうときより ぼしょ〔めいげついん〕(Grave of Tokiyori Hojo[in Meigetsu-in Temple])
【K-KN013】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市山ノ内189
【MAP】
〔駐車場所〕
明月院の門を入って左手に北条時頼の廟所があり、その奥の宝篋印塔が時頼の墓とされる。
1256(康元元)年、時頼が出家の準備のために建立したのが最明寺があり、同年11月22日に執権を辞し、翌日には最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家する。以後、最明寺で隠居生活を送るが、出家からちょうど7年後の1263(弘長3)年11月22日、37歳で没した。
『吾妻鏡』は、時頼のことを「平生から武道をもって君を助け、仁義を施して民を憐れみ、天道の理にかない人望があった」と記し、臨終に際しては、「手には定印を結び辞世の頌を唱えて即身成仏のめでたいしるしを示したことは、神仏の再誕である」 と記している。
最明寺は時頼の死後廃絶となり、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建し、明月院は禅興寺の支院の首位に置かれていた。