源実朝墓所〔寿福寺〕
みなもとさねとも ぼしょ〔じゅふくじ〕(Grave of Sanetomo Minamoto[in Jufuku-ji Temple])
【K-KN010】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目12-1
【MAP】
〔駐車場所〕
実母である北条政子が1200(正治2)年に創建した寿福寺にあるやぐらの墓所(五輪塔)である。
源頼朝の次男として生まれ、兄の頼家が比企の乱後に追放されると、1203(建仁3)年、12歳で征夷大将軍に就いた。そして、1218(建保6)年には武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年の1219(建保7)年1月27日、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。享年28(満26歳)。落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、また大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わる。『吾妻鏡』によると、亡骸は勝長寿院に葬られたが首は見つからず、代わりに髪を入棺したとあるが、『愚管抄』には岡山の雪の中から首は見つかったとある。
また、実朝は歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも「鎌倉右大臣」として撰ばれている。