北条政子墓所〔寿福寺〕
ほうじょうまさこ ぼしょ〔じゅふくじ〕(Grave of Masako Hojo[in Jufuku-ji Temple])
【K-KN009】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目12-1
【MAP】
〔駐車場所〕
北条政子が1200(正治2)年に創建した寿福寺にあるやぐらの墓所(五輪塔)である。
1225(嘉禄元)年7月11日、波乱に満ちた69年の生涯を閉じた。伊豆国の豪族であった北条時政の長女。周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった源頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台と呼ばれた。頼朝亡きあとは、征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺され、傀儡将軍として京から招いた幼い九条頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。1221(承久3)年の承久の乱のとき、朝廷(後鳥羽上皇)への畏れを抱き動揺していた鎌倉御家人たちに対して行った演説は有名である。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 鎌倉時代 |
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関連年号 | 1225年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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北条政子 | H171 | 北条時政 | H171 | 源 頼朝 | G202 |
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▲寿福寺門前
▲「寿福寺」説明板
▲【転載】北条政子墓所
▲【転載】北条政子墓所
▲【転載】北条政子墓所