毛利季光墓所
もうりすえみつ ぼしょ(Grave of Suemitsu Mori)
【K-KN003】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市西御門2丁目7-9
【MAP】
〔駐車場所〕
源頼朝墓所の右奥の山腹に玉垣に囲まれた3っのやぐらの墓がある。向かって左のやぐらが大江広元の4男・毛利季光の墓である。3代将軍源実朝に仕え、実朝の死後は出家して入道西阿と称した。1221(承久3)年の承久の乱では、北条泰時に従っていくつかの戦功をあげ、その功により安芸国吉田荘の地頭職を与えられた。
しかし、1247(宝治元)年の宝治合戦では北条氏と対立した妻の実家三浦氏方に加担し敗北。鎌倉法華堂で息子らと共に自刃した。これによって毛利一族は大半が果ててしまったが、越後国にいた四男の経光の家系だけが唯一残り、この経光の子孫から戦国時代に吉田荘の国人領主から一躍中国地方の覇者となる毛利元就が出ることになる。