紫香楽宮跡(宮町遺跡)
しがらきみやあと(みやまちいせき) (Shigaraki Palace Ruins[Miyamachi Ruins])
【P-SG002】探訪日:2016/9/24
滋賀県甲賀市信楽町宮町
【MAP】
〔駐車場所〕
742(天平14)年8月、聖武天皇は近江国甲賀郡紫香楽村での離宮の造営を命じる。甲賀寺には盧舎那仏像の造営も着手されたが、745(天平17)年4月から山火事や地震が連続的に発生したため、同年5月に聖武天皇は恭仁宮次いで平城宮に移り、紫香楽宮は廃都とされた。
当初、現甲賀寺跡が紫香楽宮跡と推測されていたが、1980(昭和55)年から1982年度にかけて実施された遺跡分布調査と聞き取り調査で、以前に圃場整備事業の時に出土していた柱根の年輪年代測定法によって、伐採年が742(天平14)年秋から743(天平15)年冬の間であることが判明したことで、宮町遺跡は聖武天皇の紫香楽宮の候補地として一躍注目されることになった。
2000(平成12)年の調査で中心部分の巨大な建物跡が検出され、宮町遺跡が紫香楽宮の宮殿部分であることが判明した。また、当遺跡の確認とほぼ同時期に新宮神社遺跡,鍛冶屋敷遺跡が確認されたため、紫香楽宮跡周辺の再調査が行われた。なお、この遺跡の一部の朱雀大路にあった橋の遺構は、新名神高速道路建設時に橋梁の場所と重なるために失われている。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡 |
関連時代 | 奈良時代 |
関連年号 | 742年.745年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
聖武天皇 | K308 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲
▲
▲
▲主要な遺構
▲
▲
▲
▲
▲
▲