観音正寺
かんのんしょうじ(Kannonsho-ji Temple)
【T-SG013】探訪日:2016/9/24
滋賀県近江八幡市安土町石寺2
【MAP】
〔駐車場所〕
標高433mの繖山の山頂近くに位置する。605年に厩戸皇子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるとされるが、伝承の域を出ない。実際の創建時期については不明であるが、少なくても平安時代中期には既に存在していた。
1333(元弘3)年に六波羅探題北方の北条仲時が足利高氏に攻められ東国に下ろうとした際に、現本堂の地(禁裏屋敷と呼ばれていた)が同行させられた後伏見上皇,花園上皇及び光厳天皇の宿舎に充てられたという。
観音正寺が位置する繖山には、鎌倉時代より佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、六角高頼が観音寺城を居城として以来、寺はその庇護を得て大いに栄えた。寺伝によると最盛期には72坊3院の子院を数えたとされる。しかし、六角定頼が当主の時や永禄年間(1558~70年)に六角義賢が観音寺城の拡張工事を行った際に、山上の寺域は次第に観音寺城に取り込まれ、寺は麓の観音谷に移ることとなった。そして、麓に移ったばかりの1568(永禄11)年9月12日、観音寺城の戦いで織田信長に敗北した六角義賢,義治父子が観音寺城を捨てて甲賀郡に退却した時の混乱で焼失してしまう。
しかし、1597(慶長2)年、再び山頂近くに観音正寺を再興させ、現在庫裏が建っているところに観音堂を完成させた。江戸時代に入り、西国三十三所の霊場として栄えた観音正寺であったが、1880(明治13)年に観音堂を建て替えることとし、観音堂は滋賀県犬上郡甲良町にある念称寺に本堂として移築された。そして、1882(明治15)年、彦根城の欅御殿を本堂として貰い受けて境内に移築した。その本堂も1993(平成5)年に重文の本尊千手観音立像とともに焼失し、現在ある木造入母屋造の本堂は2004(平成16)年に再建されたものである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 | 明治時代 |
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関連年号 | 605年 | 1333年 | 1568年 | 1597年 | 1882年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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厩戸皇子 | K303 | 北条仲時 | H178 | 六角高頼 | G739 |
六角定頼 | G739 | 六角義賢 | G739 | 六角義治 | G739 |
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▲入口の仁王像
▲入口の仁王像
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▲鐘楼
▲書院
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▲護摩堂
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲縁結地蔵尊
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▲遠景