蓮華寺

れんげじ(Renge-ji Temple)

【T-SG011】探訪日:1992/4/25・2016/10/17

【T-SG011】蓮華寺 滋賀県米原市番場511 <📲:0749-54-0980>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-SG011】蓮華寺

   厩戸皇子によって開かれた寺と伝えられ、当初は寺号を法隆寺と称したという。本尊は発遣の釈迦如来と来迎の阿弥陀如来の二尊。
 1284(弘安7)年、当地の地頭で鎌刃城主であった土肥元頼が、良忠の弟子とされる一向俊聖を招いて寺を再建し八葉山蓮華寺と号した。蓮華寺は良忠の鎌倉における自坊の旧名である。境内に土肥元頼の墓所、裏山に一向の荼毘地跡の杉と墓所がある。歴代天皇からの信仰も篤く寺紋に菊の紋を下されている。
 1333(元弘3/正慶2)年、後醍醐天皇の綸旨を受けた足利尊氏に攻められた六波羅探題北方の北条仲時は、持明院統の光厳天皇,後伏見上皇,花園上皇を伴い東国へ落ち伸びる途中、佐々木道誉に行く手を塞がれ、やむなく蓮華寺へ至り、天皇と上皇の玉輩を蓮華寺に置いた後に、本堂前で一族郎党432名と伴に自刃した。その際に血が川のようになって流れたと伝わる。時の住持の同阿上人が彼らを憐れみ法名を与え、過去帳に登載したのが「陸波羅南北過去帳」(重文)である。寺内にあるその主従の墓とされる一石五輪塔群(北条仲時一行墓所)は近代になってから整備されたもので、別に向かいの六波羅山とよばれるところの麓に五輪塔がある。
 その後、一向と同じ念仏勧進聖の一遍の時衆と同一視されるにおよび、江戸時代に当寺は、時宗十二派に属する時宗一向派の本山と位置づけられ近世を経る。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】紙本墨書陸波羅南北過去帳/梵鐘(1284年銘)

関連時代 飛鳥時代 鎌倉時代
関連年号 1284年・1333年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
厩戸皇子 K303 土肥元頼 **** 一向俊聖 ****
北条仲時 H178 光厳天皇 K401 後伏見上皇 K333
花園上皇 K334 佐々木道誉 G745 同阿上人 ****

 

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▲銅鐘

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▲土肥元頼墓所

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▲北条仲時以下432名墓所

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一向上人墓所

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▲六波羅山の五輪塔

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▲六波羅山からの蓮華寺