楽田城跡
がくでんじょうあと (Gakuden Castle Ruins)
【C-AC123】探訪日:2016/4/2
愛知県犬山市字城山(楽田小学校)
【MAP】
〔駐車場所〕
1504(永正元)年頃に大赤見城主の織田久長が築き、居城を移したとされる。 楽田城は楽田小学校一帯に築かれていた。かつては土塁や堀が残っていたというが、小学校建設によりほぼ消滅し、現在は北西側の校門付近に石碑と案内板が建っている。小瀬甫庵が記した「遺老物語」に1558(永禄元)年の戦闘の様子が記されており、城中に高さ5m程の壇を築いて、その上に二重の櫓を建てていたと記され、これが今日の天守に通じる最も古い記録とされている。
1562(永禄5)年、犬山城主織田信清によって攻め落とされ犬山城の支城となったが、同年、信清は織田信長に追われ、楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城した。
1570(元亀元)年、坂井政尚が近江国堅田で討死すると、奥城主梶川高盛が城主となった。小牧長久手合戦では豊臣秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに秀吉も犬山城から楽田城へ移っている。