野府城跡
のぶじょうあと (Nobu Castle Ruins)
【C-AC097】探訪日:2015/9/12
愛知県一宮市開明字城堀(開明小学校)
【MAP】
〔駐車場所〕
築城時期は不明であるが、明応年間(1492~1500年)にはすでに存在し、往時には二重の堀が廻らされ、内堀で囲まれた範囲だけでも東西約300m,南北約200mの規模があったとされる。近くの雲閑寺の山門は、城の門の一部を使用して建てられたといわれている。
1500年代半ばの城主として、織田信長の弟の織田九郎信治がいる。彼は、1570(元亀元)年の姉川の戦いの際、近江坂本周辺を守備していたが、浅井朝倉連合軍の攻撃を受けて森可成とともに近江国宇佐山城に籠城し、討死した。信治没後、信長の家臣武藤掃部助雄政が勝幡城より来住し、後に信雄に仕え、海東郡古道で250貫文を知行している。江戸時代、尾張初代藩主徳川義直に仕えたとされる。
野府城は現在の開明小学校一帯に築かれていたという。南側の校門を入ってすぐ左側に石碑と案内板が建っている。