日夏城跡
ひなつじょうあと (Hinatsu Castle Ruins)
【C-SG041】探訪日:2016/10/16
滋賀県彦根市日夏町
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、南北朝時代に佐々木六角氏の一族である日夏氏の詰め城と築城されたとされる。荒神山の最北端、標高172m付近に位置する。曲輪は南北に長く伸びた尾根に築かれており、北端に土塁に囲まれた曲輪、中央部に小さな曲輪があり、南端にも円形で南に土塁の付いた曲輪が続く。北側には堀切はなく自然の急斜面を利用しており、登り降りに掴むロープが張られている。南側は峰を下った鞍部の辺りに食い違いの竪堀がある。
日夏氏は六角氏に従っており、1559(永禄2)年の肥田城水攻めや翌年の野良田表合戦に勝利した浅井長政の重臣・磯野員昌が、その勢いで六角方の日夏氏を攻めたが、首尾よく抗戦して難を逃れたことができた。その後は浅井氏に従属した。
1573(元亀4)年、織田信長による小谷城総攻撃により、浅井一族ともに日夏氏も討死し日夏城も廃城となった。