尼子城跡
あまこじょうあと (Amako Castle Ruins)
【C-SG040】探訪日:2016/10/16・2017/6/19
滋賀県犬上郡甲良町大字尼子2467
【MAP】
〔駐車場所〕
1347(正平2)年頃、佐々木高氏(道誉)の孫にあたる京極高久が甲良荘尼子郷を領有し勝楽寺城の支城として築城した。高久はその後、地名を姓として尼子氏の始祖となり、嫡男詮久が近江尼子氏、次男持久が出雲国にて雲州尼子氏の祖となった。詮久が跡を継いだ近江尼子氏は2代氏宗,3代宗光と続いたが、南北朝の戦乱で城は落城し滅亡した。さらには織田信長の近江侵攻により一族家臣たちは四散したと考えられる。
1988(昭和63)年に滋賀県教育委員会が土塁と堀跡を発見し、これが室町時代の尼子氏の居城(館)跡の一部であることが発表された。1996(平成8)年には尼子城(館)の土塁,堀跡の一部が保存,修復され、土塁公園となっている。殿城池の中央にある小さな祠は、落城のときに入水した城主の姫君(八千姫)を祀るもので、姫のあとを追って入水殉死した侍女お園を憐み、この堀を「お園堀」と呼ぶようになった。