目賀田城跡
めかだじょうあと (Mekada Castle Ruins)
【C-SG035】探訪日:2016/10/16
滋賀県愛知郡愛荘町目加田954-8
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、目賀田氏によって築かれたとされる。室町時代には近江国守護佐々木氏の重臣となり、その後は目賀田氏も分家して佐々木六角氏,京極氏,尼子氏に仕えたという。1576(天正4)年、織田信長が近江国に進出してくると、安土城築城にあたり当時の目賀田山(今の安土山)を要請されたため、代替として目賀田貞政の所領地の光明寺野に目賀田城を新たに築いた。しかし、本能寺の変後に城主目賀田堅政は明知光秀に従って山崎の合戦に従軍したため、羽柴秀吉によって所領を没収され一族は離散となった。1597(慶長2)年、廃城となる。
城は南に宇曾川支流の岩倉川を控え、その北に方形に土塁と堀をめぐらせた単郭の館で、北東より小河川と自然水により堀に引き水し、南の岩倉川に通じていた。門は南東の位置に備えられていた。
現在は目賀田城址公園として整備されており、比高3mの土塁が残っている。