宇佐山城跡

うさやまじょうあと (Usayama Castle Ruins)

【C-SG028】探訪日:2016/10/15

【C-SG028】宇佐山城跡 滋賀県大津市南滋賀町

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG028】宇佐山城跡

   1570(元亀元)年、比叡山,朝倉義景,浅井長政の押さえとして織田信長に命じられた森可成によって築城された。同年9月、浅井朝倉連合軍の動きを制すべく森可成は織田信治,青地茂綱らと共に交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖したが、そこに延暦寺僧兵も加わると、ついに崩れて森可成ら3人は討死した。続いて浅井朝倉連合軍は宇佐山城への攻城戦に移行したが、可成の重臣の各務元正,武藤兼友,肥田直勝,林通安らの奮闘により持ちこたえた。
 1571(元亀2)年の比叡山焼き討ち後、明智光秀が坂本城を築城し宇佐山城は廃城となる。 
 宇佐山城は標高336mの宇佐山にあり、琵琶湖まで約1kmの距離。信長が安土城より以前に近江で最初に石垣による築城を行った貴重な城郭である。大手道は全く残っていないが、かつては山麓から山頂までまっすぐの道が通じていたものと推定されている。本丸は長さ30m,幅115mあり、北東部には石垣が比較的よく残っている。現在、NHKと民間放送のアンテナ施設が建っている。本丸の南側には、現在の山道とは違う城下につづく大手道があっと考えられ、本丸への虎口には櫓門があったと推定される。幅約4m,長さ約5mの石段が残っている。二の丸は本丸より3m低く、本丸の南に位置する。二の丸は南北2つから成り立っており、北側は南北13m×東西15m、南側は南北16m×東西9mの平坦部から構成されている。また二の丸には東西6.5m×南北3.4m×深さ1mの貯水槽が本丸櫓台下に確認できる。二の丸西側には約18mの石垣が残っている。三の丸は山頂の最北部にあり、約25mのほぼ方形の平坦地があり、東側斜面に石垣がある。また三の丸の北側に、櫓台と帯曲輪からなる小さな曲輪群があり、この曲輪群が『信長公記』に記されている「端城」と考えられている。
 中腹には宇佐八幡宮、麓には近江神宮が建っている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1570年・1571年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
森 可成 G396 浅井長政 F526 朝倉義景 AK**
織田信治 OD03 青地茂綱 **** 各務元正 ****
武藤兼友 F*** 肥田直勝 **** 林 通安 OC07

 

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▲本丸跡

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▲本丸跡

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▲本丸跡

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▲本丸跡からの眺望

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▲宇佐八幡宮

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▲宇佐八幡宮御由緒