夕田茶臼山古墳
ゆうだちゃうすやまこふん(Yuuda Chausuyama-Kofun Tumulus)
【K-GF013】探訪日:2019/11/16
岐阜県加茂郡富加町夕田
【MAP】
〔駐車場所〕
墳丘長39.5m、後円部は不整形な円形で直径24.5m,くびれ部幅10.5m、前方部は長さ15m,前面幅15.1mの左右非対称な前方後円墳である。
出土土器に付着した炭化物の炭素年代測定から、弥生時代から古墳時代への過渡期となる3世紀前半頃の築造と推定される県下最古級の遺跡といわれ、早い段階にこの夕田付近に権力を持つ有力者が誕生していたことがうかがわれる。
墳丘表面には葺石や埴輪は認められていない。墳丘周囲では、前方部前面にのみ区画溝が認められる。主体部の埋葬施設は木棺の直葬であり、主軸を墳丘主軸と異なる南北方向としている。主体部に関しては未調査であるが、盗掘跡は認められるものの概ね埋葬時のままの保存状態とみられている。出土品としては、墳丘から高坏,壺,甕などの土器片が検出されている。
なお、この一帯では杉洞1号墳(前方後円墳)も同時期の築造とみられるほか、蓮野古墳(前方後円墳)にもその可能性があり、東海地方最古となる3世紀の前方後円墳群となる可能性が指摘されている。
【史跡規模】 |
【指 定】岐阜県指定史跡(2015年3月6日指定) |
関連時代 | 古墳時代 |
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関連年号 | 3世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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八 |
堂洞城跡の登り口を探している際に、偶然に案内板を見つけ予定外ではあったが訪れてみた。3世紀前半といえば卑弥呼が生きていた時代であり、この地方にその時代の権力者の古墳があることは驚きであった。ここに眠っていた人物はどんな権力者で、このクニはどんなところだったのか、思いをはせるのも古墳探訪の面白味の一つである。
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▲駐車場
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▲登り口
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▲後円部
▲後円部
▲後円部墳頂
▲後円部墳頂から西を見る
▲後円部から前方部を見る
▲前方部から後円部を見る