多治見国長邸跡
たじみくにながていあと(Residence Ruins of Kuninaga Tajimi)
【R-GF009】探訪日:2019/11/7
岐阜県多治見市新町2丁目40-1
【MAP】
〔駐車場所〕
美濃守護土岐頼貞の一族である多治見次郎四郎国長の館跡である。
1324(正中元)年、日野資朝の招きによって後醍醐天皇密旨を奉じて、鎌倉幕府討伐に向け土岐伯耆十郎頼定などとともに京都へと上った。しかし、一族の土岐頼員(船木頼春)の妻(斎藤利行女)の密告により計画は六波羅探題に漏れ、国長らの京都錦小路高倉の邸は六波羅探題の小串三郎左衛門範行の軍勢三千余騎に完全に包囲され、国長らはわずか20人で勇敢に戦ったが、敵うこともなく非業な最期を遂げた(正中の変)。国長36歳であったという。
多治見国長邸跡は遺構は残っていないが、小さな公園として石碑が建てられている。