根本城跡
ねもとじょうあと (Nemoto Castle Ruins)
【C-GF041】探訪日:2019/11/7
岐阜県多治見市西山町2
【MAP】
〔駐車場所〕
1570年代前半に武田氏が東濃侵攻した際に、武田氏の一族である若尾氏が最前線の拠点として築城したとされる。標高285mの山頂に位置し、南北に伸びる峰の先端に土塁,堀切,曲輪や竪堀などの中世後期の遺構を確認することができる。平時は麓の御殿屋敷に居住していた。 1582(天正10)年の武田氏滅亡後も若尾氏はこの地にとどまり、若尾甚正は金山城主・森長可の配下に加わっていた。1584(天正12)年の小牧長久手の戦いには、森長可に従って城主の若尾元美が参戦し討死している。山麓には若尾氏の菩提寺である若尾元昌開基の元昌寺が建てられている。
【史跡規模】
【指 定】多治見市指定史跡(1977年12月5日指定)【国 宝】 【国重文】
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▲登城口
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▲城印の看板が導いてくれる
▲旗挙げの松
▲堀切
▲本丸跡
▲城址碑
▲堀切を挟んで北の曲輪
▲堀切から北の曲輪へ
▲北の曲輪
▲北の曲輪から堀切を挟んで本丸跡
▲「下」の看板に沿って下山