小原城跡
おばらじょうあと (Obara Castle Ruins)
【C-GF039】探訪日:2019/11/7
岐阜県可児郡御嵩町小原字西山
【MAP】
〔駐車場所〕
天文年間(1532~55年)、織田方で金山城主森可成の配下であった御嵩本陣山城の小栗重則,教久を牽制のため、武田方の美濃高山城主の平井頼母により築城されたとされる(上之郷を領した小倉織部の居城との説もある)。
1571(元亀2)年、武田信玄の東美濃侵攻において、秋山信友は、岩村城,明知城などを攻め小原城を占拠し奪取し金山城の森長可と対峙した。1575(天正3)年には金山城を攻めたが、織田信長の東美濃侵攻により武田勢は退去した。その後、1599(慶長4)年に金山城主の森忠政が信濃・川中島へ移封されると、金山城や御嵩城とともに自然廃城となったと考えられる。
小原城は、白山神社背後の丘陵一帯に築かれている。4層の石垣の上の白山神社本殿の左奥を進むと、やがて堀切,主郭が現れる。主郭は南北に細長く40m×15mほどの広さで、南側は一段高くなっている。北側には「神武天皇・畝傍北東御陵遥拝所」の石碑と祠が建てられる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1532~55年・1571年・1575年・1599年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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小栗重則 | H20* | 小栗教久 | H20* | 平井頼母 | **** |
小倉織部 | **** | 秋山信友 | G*** |
最初、城跡の北側から笹などの藪をかき分け攻めたが断念。南側の白川神社からトライすることにした。長い階段を登ると、神社としては珍しく三段の石垣の上に本殿があり、その裏に右奥にかろうじて道とわかる個所へと踏み込んだ。こちらも鬱蒼とした藪の海をかき分け、落ち葉で滑りながらもなんとか主郭へとたどり着くことができた。下りも神社へと戻るつもりが、道を間違え白山神社から50mほど西の畑の横に出てしまった。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲白山神社(登城口)
▲長い階段を登る
▲白山神社
▲白山神社
▲本殿
▲本殿から下を見る
▲藪を抜けた後の道
▲堀切
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▲主郭南側の高み(土塁?櫓台?)
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▲主郭南側の高み
▲主郭の北側を見る
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▲手前に神武天皇遥拝所の石碑と祠が見える
▲主郭にある神武天皇遥拝所の石碑
▲主郭にある祠
▲謎の石柱(傾いている)
▲左側が小原城跡(右側は白山神社)