室原城跡

むろはらじょうあと (Murohara Castle Ruins)

【C-GF037】探訪日:2019/10/23・2019/11/7

【C-GF037】室原城跡  岐阜県可児市長洞

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF037】室原城跡

   1565(永禄8)年頃、可児六郎左衛門秀行によって築かれたとされる。可児秀行は金山城主森可成に臣従し各地を転戦したという。
 1584(天正12)年、小牧長久手の戦いでは秀行と子の盛行が森長可に従って出陣したが、秀行は楽田八幡林の一戦で討死にした。盛行が城に火を放って落城したという。
 1599(慶長5)年、森忠政が信濃川中島へ移封されたとき、可児勝行もこれに従い、室原城は廃城となった。
 室原城は室原と長洞の間にある標高216mの山に築かれており、別名、長洞城ともいう。登城口に城址碑が建つが、南の妙智寺からも登城できる。全体的に自然地形に近く曖昧な地形が多い。山頂部に大手曲輪,腰曲輪,一の曲輪,二の曲輪,三の曲輪が北から南の尾根筋に連郭式に配置された山城である。東尾根の切岸は曖昧であるが、南端の堀切は切岸がしっかりしており、西尾根にも堀切が一条ある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1584年 1599年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
可児秀行 **** 可児盛行 **** 可児勝行 ****
森可成 G396 森長可 G396 森忠政 G396

 

【C-GF037】室原城跡
 最初に訪れたときは、城址碑が建つ登城口からアプローチしたが城跡へたどり着くことができなかった。後からわかったことであるが、途中の三叉道で一方の道の奥に「入山禁止」看板が見え、別の道を選んでしまったようだ。2回目に訪れたときは、インターネット情報から城跡の南に位置する妙智寺の裏山からアプローチすることにした。尾根(空)は見えるものの道はなく、ほぼ45度に近く斜面をよじ登り、南尾根に出た。そこを北上すると主郭跡へとたどり着く。マイカーは妙智寺付近に停めたが、下山は城址碑のある北方向を目指した。木や竹にマーキングがあり迷うことはなかったが、やがて、見覚えのある「入山禁止」の看板がある道に出た。道のサイドには柵が張られており、このとき、「入山禁止」とは柵の中に入らないようにということだったのだと分かった(看板が三叉道側に向いていたため、勘違いしてしまった)。

 

【C-GF037】室原城跡

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【C-GF037】室原城跡

▲登城口

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▲三叉道を右に進む

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▲入山禁止の看板がみえるが直進

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▲別ルート:城跡の南にある妙智寺裏手

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▲この奥からも登城可能(ただし急斜面をよじ登る)

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▲この奥へ入る

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▲堀切

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▲主郭跡

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▲主郭跡

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▲「室原」交差点付近から見た城跡