家所城跡
いえどこじょうあと (Iedoko Castle Ruins)
【C-ME023】探訪日:2019/3/24
三重県津市美里町家所字城山
【MAP】
〔駐車場所〕
1362(貞治元/正平17)年、長野城主の工藤氏祐の三男・家所祐歳によって築かれ、家所氏が8代(三河守祐蔵,飛騨守祐房,弾正祐長,玄蕃祐則,刑部祐友,三河守祐藤,隼人正藤實,三河守藤安)約200年にわたって居城し家所周辺24ヶ村を領していた。1572(元亀3)年、8代目の三河守藤安は織田信長との戦いで戦死し、城も荒廃廃城となった。
家所城は家所盆地の中心に位置する独立丘陵に築かれており、南の侍屋敷跡から登ると大手門跡に達し、つぶて石と大手門跡の石垣がある。ここが主郭で長方形を呈し周囲には土塁が巡らされている。主郭の北側中央の櫓台には祠が祀られ、その東隣に抜け穴跡と見張台跡がある。また、主郭北側にはかつての家所氏菩提寺である什心寺跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】津市指定史跡 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 1362年 | 1572年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
家所祐歳 | F*** | 家所藤安 | F*** | 織田信長 | OD04 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲侍屋敷跡
▲
▲案内図
▲
▲
▲大手門跡と石垣
▲主郭の土塁
▲主郭の土塁
▲主郭
▲
▲主郭
▲井戸跡
▲祠
▲祠
▲祠から見た主郭
▲祠から見た主郭
▲抜け穴跡と見張台跡
▲抜け穴跡
▲見張台跡
▲見張台跡
▲
▲
▲什心寺跡
▲什心寺跡
▲
▲家所三河守の墓
▲「家所三河守の墓」説明板
▲家所三河守の墓