岩崎城跡
いわさきじょうあと (Iwasaki Castle Ruins)
【C-AC004】探訪日:2015/9/28
愛知県日進市岩崎町市場
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、織田信秀により築かれ、信秀の属将・荒川頼宗を城主とした。1529(享禄2)年、三河国岡崎城主の松平清康が尾張国攻略の足がかりとして兵7000を率い攻め落とした。しかし、1535(天文4)年、いわゆる「森山崩れ」により清康が死去すると松平氏の勢力は岩崎城から後退し、松平氏の案内人として行動していた本郷城主の丹羽氏清が移り住み改修した。1538(天文7)年のことである。以後、丹羽氏4代が城主となる。公園として模擬天守が建てられる前には遺構が良く残っていたらしい。今でも博物館の奥には土橋が架かり、空堀と土塁が残っており遊歩道が設けられている。
丹羽氏は、織田信長と徳川家康が同盟を結ぶと織田信長と結び、信長死後は徳川家康と結んだ。1584(天正12)年の小牧長久手合戦では、当主の丹羽氏次は家康の本陣である小牧山城へ赴き、岩崎城は弟の丹羽氏重が守っていたが、膠着状態となった合戦の裏で、秀吉の部将池田恒興が一軍を率いて岩崎城下を抜けて家康の本城である岡崎城を目指して進むと(三河中入)、氏重は城兵300余人でこれを迎え撃ち玉砕した(小牧長久手の戦い)。