千村陣屋跡
ちむらじんやあと (Chimura Jinya Ruins)
【R-GF006】探訪日:2019/9/30・2019/10/23
岐阜県可児市久々利
【MAP】
〔駐車場所〕可児郷土歴史館に広い駐車場がある。千村陣屋跡地に可児郷土歴史館が建っている。
千村氏は木曽氏の一族で、木曽氏の改易されると千村良重も浪人するものの、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの時、徳川秀忠の木曽路進攻の先導として召し出され、山村甚兵衛らとともに西軍の石川備前の熱川砦を落とすなどの功を挙げたことで、戦後、4400石を与えられ旗本となり久々利に陣屋を構えた。
1619(元和5)年には千村氏は尾張徳川家の附属となり尾張藩士となったが、以前より幕府より命ぜられた伊那,高遠の山林の博木山(幕府直轄の山林)支配の役も任されていて交代寄合として江戸に参勤交代もしていた。千村氏はここで明治まで続いた。
千村陣屋は、東西約300m,南北約270mを有し、生活の場と政務の場を兼ね備えていた。北側の山には久々利城があり、この地はもともと久々利城の根古屋であったという。現在は可児郷土歴史館が建てられているが、周辺には当時の石垣が残されている。また、北側には、春秋園庭園と呼ばれる千村陣屋の西荘といわれる下屋敷の庭園がある。
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▲西側の石垣
▲西側の石垣
▲南側の石垣
▲南側の石垣
▲南側の石垣