大森城跡
おおもりじょうあと (Omori Castle Ruins)
【C-GF030】探訪日:2019/9/30
岐阜県可児市大森2118
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、永禄年間(1558~70年)に奥村又八郎元広によって築かれたとされる。奥山又八郎は久々利城主の久々利土岐三河守の家老奥山元信の子である。又八郎は金山城の森長可に仕えていたが、1582(天正10)年に織田信長が本能寺の変で討たれると長可をひそかに謀殺しようと計画したが、内通により発覚し、同年、森長可に攻められ、又八郎は城に火を放って越前へ逃亡し前田利家に仕えたという。
その後、小牧長久手の戦いの際には、森氏によって金山城周辺の押さえの拠点として改築されたと伝わっている。
大森神社境内の南側に登城口があり、城は神社の西側の丘上に築かれている。山上は北から南へ3つの大きな曲輪があり、それぞれが空堀で遮断され部分的に土塁が残る。東側面は高土塁で南へ向かって空堀が延び、南側の曲輪の堀切へと通じている。