顔戸城跡
ごうどじょうあと (Goudo Castle Ruins)
【C-GF033】探訪日:2019/9/30
岐阜県可児郡御嵩町顔戸954
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、応仁年間(1467~69年)頃に斎藤妙椿によって築かれたとされる。城は可児川の北岸の高台に築かれており、東西約150m,南北約167m、周囲に豪壮な空堀と土塁が残るが、内側は民家や畑として開墾されている。空堀は規模が大きく堀底で最大4~5m、堀底からの高さは最大で10mにも達する。
斎藤妙椿は一度出家していたが、兄斎藤利永の死によって還俗した。応仁の乱では西軍に属して活躍し和歌を好む文化人でもあった。1468(応仁2)年、妙椿は城主の東常縁が遠く下総に居る間に、常縁の美濃篠脇城を攻撃し所領を占領した。常縁はこれを悲しみ歌に詠んだところ、この歌が人伝に妙椿に伝わり、常縁が直接自分に歌を送ったならば所領を返還しようと妙椿が提案。その後、2人の間で歌の応答があり、妙椿は約束通り所領を全て返還したという。