今城跡
いまじょうあと (Ima Castle Ruins)
【C-GF028】探訪日:2019/9/30
岐阜県可児市今371
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、天文年間(1532~55年)にこの地域の豪族であった小池家継によって築かれたとされる。1582(天正10)年の本能寺の変後、いままで森氏に従っていた東濃諸国の武将は反抗するようになり、家継もそのひとりであった。金山城主であった森長可は反抗する武将を武力で鎮圧したが、小池氏は森長可の退去命令に従って城を退去し帰農したと伝えられる。1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いの際には森氏が今城を改修した痕跡が残されている。
今城は北へ伸びた低丘陵の先端に築かれており、南端の最高所に本丸、その北に馬出状の二の丸があり、西下に三の丸がある。山頂部の本丸は約30m四方の平地で分厚い土塁が西を除く三方を覆い、二の丸に通じる北に土橋、南にも開口部があり、この部分の土塁は食い違いとなっている。三の丸に城主である小池家継の墓の小さな五輪塔が数基建っている。二の丸にはかつて小池家継が居住した屋敷が存在したといわれている。