妓王屋敷跡
ぎおう やしきあと (Residence Ruins of Gio)
【R-SG001】探訪日:1992/4/25・2016/9/24
滋賀県野洲市中北
【MAP】
〔駐車場所〕
近江国祇王村は平安時代末期の白拍子である妓王(祇王)の生誕の地。院の北面であった父の橘次郎時長が1156(保元元)年の保元の乱で戦死したため、妓王は妹の妓女と母刀自とともに都へ出て白拍子となり、平清盛の寵をえた。
妓王は水不足に苦しむ故郷の人々のために、清盛に願い出て野洲川から琵琶湖まで約12kmの水路を掘ってもらい、村人は妓王を讃えてこれを妓王井と名づけたと伝えられる。ただし、平安時代末に農業用水として開削されたことは事実だが、妓王の進言によるものかは言い伝えの域を出ない。
その後、清盛の寵は仏御前に移り、やがて妓王は清盛から遠ざけられ、母の刀自,妹の妓女とともに嵯峨往生院(妓王寺)へ仏門に入る。当時21歳だったとされる。
生誕の地には妓王の菩提を弔うために建てられた妓王寺が現存する。また、妓王と妓女の墓は神戸市の来迎寺にある。