三田村氏館跡

みたむらし やかたあと (Residence Ruins of Mitamura Clan)

【R-SG012】探訪日:2019/9/17

【R-SG012】三田村氏館跡  滋賀県長浜市三田町1125

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-SG012】三田村氏館跡

   当館跡の城主である三田村氏は、元京極氏の根本被官で近江守護の京極高清に仕え、1496(明応5)年には浅井直種らとともに美濃斉藤利国の援軍として出兵するなど、各地を転戦して功を挙げている。
 三田村氏館の最後の城主である三田村国定は1570(元亀元)年の姉川の合戦の際には横山城の城守を務めていたとされるが、信長の進行により小谷城に撤退した。なお、姉川の合戦時、三田村氏館には越前から援軍として駆けつけた朝倉景建軍の本陣が置かれ、徳川家康軍と対峙して戦端が開かれたとされている。
 姉川の合戦後、三田村国定は小谷城中ノ丸に篭もっていたが、1573(天正元)年8月の小谷城落城の際に秀吉を通じて信長に降るも容れられず、一族とともに処刑された。処刑された三田村氏一族を含む77名は通称西三昧に葬られたとされる。この段階で三田村氏館は廃城になったと考えられる。
 主郭内には現在、伝正寺は建てられているが、周囲にはそれを囲むように高さ2~3m,幅平均5m程度の土塁が巡らされている。西側に虎口を有し土塁の前は堀跡(現在は畑)の面影を残している。なお、土塁については、古い段階に造られたと考えられる下層からは9世紀後半の遺物が出土し、最も新しいものは16世紀初頭のものが出土している。また、郭内部には基幹的な排水路と考えられる溝が土塁と並行してそれぞれ2条検出されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2007年7月26日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1496年・1570年・1573年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
京極高清 G745 三田村国定 **** 朝倉景建 AS**
徳川家康 TG01 織田信長 OD04

 

【R-SG012】三田村氏館跡  
  

 

【R-SG012】三田村氏館跡

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【R-SG012】三田村氏館跡

▲説明板(虎口付近)

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▲西側土塁

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▲西側土塁前の堀跡

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▲西側土塁(主郭内側)

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▲西側土塁

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▲北西部の鍵形土塁

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▲北西側の鍵形土塁

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▲北西側の鍵形土塁上部

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▲東側の土塁

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▲南東側の土塁

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▲三田村氏有縁の碑

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▲伝正寺

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▲説明板