富田茶臼山古墳
とみたちゃうすやまこふん (Tomitachausuyama-Kofun Tumulus)
【K-KG001】探訪日:2019/7/20
香川県さぬき市大川町富田中
【MAP】
〔駐車場所〕
長尾平野東縁の低丘陵縁部に築造された四国で最大規模の前方後円墳である。規模は、古墳総長(周濠含めた全長):163m,墳丘長:139mで、前方部は長さ:49m,幅:77m,高さ:12.5mの3段築成、後円部は直径:90m,高さ:15mの3段築成、また、くびれ部は幅:56mである。墳丘の一部は開墾,住宅建設による改変を受けているが、その他の部分は概ね良好に残されている。前方部側には陪塚として方墳3基も認められている。墳丘表面では多くの埴輪のほか、葺石(2段目,3段目のみ)が検出されている。主体部の埋葬施設は不明であるが、竪穴式石室と推測されている。
築造時期は古墳時代中期前半の5世紀前半頃(一説に5世紀初頭頃)と推定され、本古墳は畿内色を強めていることから、ヤマト王権から支援を受けた一方で王権への系列化が進んだと考えられる。さらに、古墳時代前期の津田古墳群の消滅と呼応して富田茶臼山古墳が出現しており、ヤマト王権と強く結び付いた本古墳の被葬者が東讃地域を基盤として強い勢力を有するようになったことを示唆する。合わせて、当地は古墳の北側に古代南海道が推定される交通上の要衝になることから、沿岸部の海路(津田湾)から内陸部の陸路(南海道)への意識の移行をみる説もある。
また、明瞭な遺構は確認できないが、戦国時代には寒川右馬允が本古墳を城として利用したとされる(茶臼山城)。