雨滝城跡
あめたきじょうあと (Ametaki Castle Ruins)
【C-KG010】探訪日:2019/7/20
香川県さぬき市大川町富田中
【MAP】
〔駐車場所〕 登り口(写真のところ)にわずかな駐車スペースがある。
築城年代は定かではないが、長禄年間(1457~60年)に安富盛長によって標高253.2mの雨滝山に築かれたとされる。
安富氏は播磨国三ケ月郷を領していたが、応安年間(1368~75年)頃に細川頼之に従って讃岐国に渡った。応仁の乱には武将として出陣し、乱後は西讃岐の細川氏と共に細川氏の目代として讃岐を二分し、東讃岐を管轄した。
1572(元亀3)年、安富盛定のときに三好長治の家臣篠原弾正入道紫雲の女を娶り三好と誼を結んだ。同年、三好氏によって東讃に勢力のあった寒川氏が虎丸城を追われ昼寝城に退くと、虎丸城には盛定が移り、雨滝城には家臣の六車城主六車宗湛がはいった。その後、1583(天正11)年、長宗我部元親の侵攻に遇い、降伏落城した。
雨滝城は山頂の主郭を中心として、西,北東,南東の各尾根に曲輪を配している。主郭の側面には部分的に石積が残っており、南東側が確認しやすい。南第二曲輪を除いた全ての曲輪で礎石が検出されており、主郭にはその一部が確認できる。