大溝陣屋跡
おおみぞじんやあと (Omizo Jinya Ruins)
【R-SG010】探訪日:2019/8/8
滋賀県高島市勝野1688
【MAP】
〔駐車場所〕
1619(元和5)年、分部光信によって築かれた。光信は、伊勢国上野藩領が紀伊国和歌山藩領となるため、大溝二万石に転封となり、このとき築いたのが大溝陣屋で、廃城となっていた大溝城三ノ丸に位置している。大溝藩は分部氏がその後代々続いて明治に至る。
陣屋の遺構はあまり残されていないが、陣屋の惣門が大溝陣屋関係建造物でただ一つ現存する遺構である。1755(宝暦5)年秋に大修理して今に至っている。棟瓦には分部氏の定紋が残り、2003(平成15)年春の調査で「大溝惣門」と墨書きされた宝暦5年11月23日の紀年銘を記した棟札が発見されている。 近くには、分部氏を祀った分部神社と分部氏の菩提寺である圓光禅寺がある。