馬場信房墓所〔長篠古戦場〕
ばば のぶふさ ぼしょ〔ながしのこせんじょう〕(Grave of Nobufusa Baba [in Historic Battlefield of Nagashino])
【K-AC031】探訪日:2007/5/27・2015/8/15・2019/4/6
愛知県新城市長篠字西野々51-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1575(天正3)年5月の長篠の戦いでは武田勝頼に対し山県昌景ら重臣と共に撤退を進言したが容れられなかった(後世の作り話の可能性もあるが)。
5月21日の設楽原での織田徳川連合軍との決戦では、武田軍右翼の中核に兵700人で配され、丸山砦攻防戦で織田方の佐久間信盛隊6000人を破り、砦を奪取した。しかし、数と戦略で劣る武田軍は次第に崩れだし、有能な武将を次々と失い、勝頼も退却の決断に至る。馬場隊は、勝頼が退却する殿を務め、兵数100で迫りくる連合軍の大軍を防いだが、橋詰の辺りで勝頼の姿が見えなくなったのを見届けると、反転して追撃の織田軍と激戦を繰り広げた(橋詰殿戦場)。信房は討ち死にしたとも首を差し出したとも伝わる(馬場信房戦死の地)。享年61。首級は長篠城付近まで運ばれ、この地に埋められた。
1891(明治24)年、墓石の下からは数個の骨片と素焼の皿2枚が出てきたとの記録がある。
※馬場信房は信春と改名しており、最後は「馬場信春」の名で戦死したと考えられるが、このサイトでは史跡名称に従い「馬場信房」を用いる。
【史跡規模】 |
【指 定】新城市指定文化財(1971年6月12日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1575年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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馬場信房(信春) | **** |