山本信供墓所〔長篠古戦場〕
やまもと のぶとも ぼしょ〔ながしのこせんじょう〕(Grave of Nobutomo Yamamoto [in Historic Battlefield of Nagashino])
【K-AC034】探訪日:2015/8/15
愛知県新城市川路字寺ノ前98
【MAP】
〔駐車場所〕
山本勘蔵信供は武田の軍師であった山本勘助晴幸の子で、20歳の若さで長篠設楽原の戦いに臨んだ。 1575(天正3)年5月21日の設楽原の決戦では、当初、高坂昌澄らと共に長篠城監視隊として寒挟川沿いに布陣していたが、武田勝頼の指示により竹広の山形高地に転戦。しかし、武田軍の総崩れとともに大海あたりまで退き、渡辺半蔵守綱に討たれた(山本信供戦死の地)。渡辺は織田信長の首実検を受けたのち、信供の首級をこの地に埋め、戦後改めて埋葬したとされる。なお、勝楽寺前で討たれたという説もある。 また、黒田地区にも子孫の方が父勘助晴幸と並べて建てた山本信供墓所がある。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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